tarokun12のブログ

特にジャンルは絞ってないので、色んなことを書きます。コメント等、気軽にください。気づいたら、できるだけ返答したいと思います。

私が困ったときの、問題解決法

私たちは毎日、多くの問題を考えながら生きている。
それらの問題の中には、考えているうちに別の問題が湧いてきて、結局何を考えればよいのかわからなくなってしまうような種類の問題もある。
私の周囲でも、そういう種類の問題に頭を抱え、何をしてよいのかわからなくなってしまって、途方に暮れている人間をよく見かける。
そして、私などにその曖昧な「問題」を持ちかける。
私は決して、頭のいい部類の人間ではない。
しかし、彼らが持ち込む「問題」のほとんどは、解決するか、少しでも解決に近づけることができる。
私と彼らの違いは何だろう?それは、頭脳の出来不出来の問題ではないように思われる。
私は、頭を悩ませているときの彼らを観察していて、気が付いたことがある。
それは、彼らが頭を悩ませているまさにその瞬間、彼らは文字通りただ「頭を抱えて」いるのだ。
そんなことをしていたら、誰だってくだらない「問題」に何時間も、何日も、ときには何週間かけることになるだろう。
要するに彼らは、「何が問題なのか」がわかっていないのだ。
簡単な数学の問題を解くときに、誰もが瞬時に同じ解を得られるのは、明確な問題が設定されているからだ。
では、彼らはどうするべきなのか。
私が考える、この問題の解決策は、「問題を明文化」してしまうことだ。
私が、誰かに問題を持ち掛けられたときには、この方法を使っていたわけだ。
例えば、何か仕事を与えられたとき、その指示が少し曖昧で具体的に何をすればよいのかわからないとき、
自分がやるべき仕事を、全て具体的に書き上げるのだ。
このとき、注意しなければならないことは、その文章を他人が見てもわかるような、具体的な形で書くということである。
そのように、わかりやすく書くことで、自分がなんとなくわかっていなかった、もやもやした問題が非常にクリアになる。
ここまでくれば、問題は解け始めていると思ってまず間違いない。
この方法が、毎日悩んでいるのにも関わらず、一向に解決できない問題を抱えている誰かの役に立つことを願う。

専門家や大先生の言うことを聴くときに、僕らがとるべき態度

読んでいる本の著者、話している相手が、その分野においてどんなに偉大な人物であっても、それをはなっから信じて聞いてしまってはいけない。

世間がその人物をどんなに偉大だと持ち上げようと、そいつも所詮は人間だ。完璧であるはずがない。

相手がだれであっても、そいつの言っていることが正しいかどうか、自分で判断しなければならない。

中には何を言っても、その人の言うことが素晴らしいことのように思わせるような、才能ある人々が存在する。そんな人たちと話していて、自分がその話の流れに飲み込まれそうになったら、一端冷静になる必要がある。そんなときは、もし同じ話を、その辺の道を歩ているおじさんかおばさんがしてきても正しいと思えるかどうか、確かめる癖をつけると良いかもしれない。

自分に対する評価に対して

世の中には、自分に対する周囲の評価(主に、悪い評価)に対して、必要以上に精神的なダメージを受ける人が存在する。
そういう人は、人の評価を気にし過ぎているのだと思う。
相手の言っていることが、的を得ているという証拠はどこにあるのか?
相手がどっかの富豪だろうが、大学教授だろうが、世界的権威だろうが、「世間」だろうが、
そんなものは、そいつが言っていることが正しいことを証明する材料になんかなりはしない。
私だって、何か非難されたりすれば、自分に何か悪いところがあるのかと、改めて考えてみたりするし、時には反省する。しかし、それが的を得ていないと判断される場合は、全く無視してよいと考えている。
こういう態度は、生意気で謙虚さが足りないという人もいるかもしれない。
生意気というのは確かにそうかもしれないが、謙虚さがないというのは全然的外れだと思う。
相手の言っていることが正しいと判断される場合、それを素直に受け止め、反省することを怠らないでいれば、それは謙虚そのものであると思う。
自分の何かを否定されたとき、全面的に降伏して、卑屈になってしまうだけの人間は、あまりにも自分というものがなさすぎる。
自分が考えたことに、筋が通っていれば、自信をもってその考えを貫くべきだと思う。
「人がどう思ったって、そんなこと俺が知るもんか」
こういう態度が、大事だと思う。
全てのことは、自分で納得しながら進んでいくべきなのだ。

プラスティック・メモリーズ(13/13)

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プラスティック・メモリーズ第13話「いつかまた巡り会えますように」を見た。

今回で最終回であった。

 

二人の時間を作ろうと、気を遣う第1ターミナルのみんなには感動した。

あんなに応援されるカップルなんて、現実にはなかなかいない。

二人で観覧車に乗って最後のときを過ごすシーン。

案外去っていく方は、気丈に振舞えるんですよね。

一方、ツカサの方は、別れの悲しみにこらえきれず号泣。

ここで私もこらえきれず号泣。

でもツカサはしっかりと、やるべきことはやった。

すごいよ。。ツカサ。。。

実に美しい二人だった。

そして、最後にツカサの前に現れた新たなパートナーがいたが、その姿を映さない終割り方よ!

いちいち、結末まで全部描き切るのではなく、あとは視聴の想像にお任せしますって終わり方は、素晴らしかった!

「今日、大好きなアニメを見終わりました。」

「いつかまた素晴らしいアニメに巡り会えますように」

プラスティック・メモリーズ(12/13)

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プラスティック・メモリーズ第12話「想い出が埋まってく」を見た。

アイラは、記憶を失うことに対する恐怖を克服したように見えたけど、実際はそうでもなかったみたいだ。

夜、彼女はツカサはまだいるかどうか、と彼のベッドのところまで泣きながらやってきた。

やはり、記憶を失うことが怖くて仕方がないようだ。

一方で、ツカサもいよいよ近づいてくるアイラの寿命に、冷静ではいられなくなっていた。

互いに励ましあい、慰めあう二人は、とても美しいと思った。

そして、前から気になっていた、回収の際にアイラがする耳打ちの内容がついに明らかになった。

「大切な人といつかまた巡り会えますように」

これは去りゆくギフティアだけでなく、時には我々でも救われるいい言葉ですね。

彼氏・彼女に振られたとき、プラスティック・メモリーズを見直して、アイラに祈ってもらいましょう。(笑)

プラスティック・メモリーズ(11/13)

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プラスティック・メモリーズ第11話「オムライスの日」を見た。

アイラが3年ぶりに、日記をつけ始めた。

それは、彼女が思い出を作ることを

 

再開した、ということだろう。

アイラは、再開した初めのページに、次のように書いた。

「昨日、大好きな人と恋人になりました。」

こんな素敵な日記ってないぜ!

 

プラスティック・メモリーズ(10/13)

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プラスティック・メモリーズ第10話「もう、パートナーじゃない」を見た。

アイラ=チヅル組は、アントニオ・ホリゾンの下へ行き、サラを回収する仕事を行った。

ホリゾンは、マフィアのボス。

正直、トラブルに巻き込まれないかヒヤヒヤしたけど、そんなこともなくそこの仕事は完了した。

チヅルがこの仕事を持ってきたのは、アイラに思い出を作ることの大切さを知ってほしかったからであった。

チヅルみたいな偽悪者って、私の周りにはいないなあ。(偽善者はいるけどw私含めてねw)

また、第1ターミナルの仕事の方針(お客の気持ちを尊重する)は、アイラが言い出しっぺであることが明らかになった。

流石アイラ!優しい!

最後には感動のシーン!

多分、このアニメの名シーンの1つに入ると思う。

アイラと一緒に泣いてしまいました。

さて、次回はどうなる!?